「みどり、自然、すまい」(10)

  プーチンの戦争が始まって、無差別な暴力によりウクライナの普通の人々のくらしが破壊されていくという恐ろしい現実がある。着の身着のままで国外へと避難する子供たちを含めた何百万もの人々がいる一方で、国を守るために武器を手にしている一般市民がいる。そんな彼らの姿、破壊された街の映像を毎日、テレビで追いかけている私。

  このような悲惨なコトは過去の歴史で何度も繰り返されてきた。すべて人間のやったコト。それが戦争。今年も夏がやってきて、沖縄戦のドキュメントがテレビで流れた。あの太平洋戦争でどれだけ多くの普通の人々が加害者になり、またどれだけ多くの人々が被害者となり、普通の人々のくらしが壊され、尊い命が失われたことか。かって、サハリンを旅行したことがあるが、そこには自分の意志ではなく日本により連れてこられた韓国人の子孫が大勢くらしていた。 

   最後は広島と長崎の原爆投下にまで行ったコトの終わりを改めて考える中で、これまで私が大事にしたいと思ってきたコト、例えば、「生活の質」とか、「まちづくり」とか、「環境問題」などは、今のウクライナの人々にとっては「大した問題ではない」コトなのだと思い至り、月2回ごとに自費出版して近所に配布していた「鵜の木通信」を出すことの意味が分からなくなってきた。 

    ウクライナの人たちだけではない。今、日本でも、病気で苦しむ人や生活苦に苦しむ人が大勢いて、彼らにとっては「生活の質」や「まちづくり」や「環境問題」より大事な一日一日のくらしがある、と気が付いたことも「鵜の木通信」廃刊の理由ではある。

 アフリカから私たちの祖先ホモサピエンスが大陸へ移動して以来、人間はこの地球上で領土の奪い合いを続けて今に至るのは、私たち人間のDNAのなせる業か。止まらない私たち人間の様々な破壊行為に地球も悲鳴を上げている。